極真カラテマニアック検定(1960~1970年代編) 前回の「大山倍達マニアック検定」に引き続き第2弾。 趣味 - スポーツ 1970年代 大山倍達 格闘技 極真空手 武道 空手 Q1第8回全日本王者、佐藤俊和のニックネームは、「チャーマン」、名付けたのは? 選択肢岸信行佐藤勝昭三浦美幸ジャック・サンダレスク Q21967年に創設された城西大学空手同好会(後に部へと昇格)、初代主将は創立した添野義二だが、二代目主将は誰? 選択肢三浦美幸吉岡幸男増田賢一荒木信二 Q3「妖刀村正」と呼ばれた後の静岡支部長、大石代悟が4試合連続一本勝ちをしたのはどの大会? 選択肢第3回全日本空手道選手権大会第4回全日本空手道選手権大会第5回全日本空手道選手権大会第6回全日本空手道選手権大会 Q4中村忠と大山茂の両高弟による得意演武「真剣白刃取り」、元々は空手をアピールする為、アメリカで開発され披露された演武だが、日本で最初に披露されたのはいつ? 選択肢第1回全日本空手道選手権大会第2回全日本空手道選手権大会第5回全日本空手道選手権大会第1回全世界空手道選手権大会 Q5劇画と映画の影響により隆盛を極めた1977年の極真会館、この年の支部会員登録数のトップは愛媛支部の995名だったが、もう1支部同数でトップの支部があった。 これはどこの支部か? 選択肢秋田埼玉群馬北海道 Q6極真会館が主催する全日本大会には約10年ほどの間、ムエタイから選手を招聘して大会に参加させていた。 次の内、参加していない選手を挙げよ。 選択肢サマン・ソー・アジソンシンサックノイ・ソーシリパンカンナンパイ・ソントーンディラ・チャラカンボ Q7"ジェット機ボーイ"、"極真の天才児"などの異名を取り、1975年に開催された第1回全世界空手道選手権大会で10位に入賞した東谷巧は、全日本の大会には何度挑戦した? (※第7回全日本は世界大会を兼ねたので除く) 選択肢1234 Q8極真会館が主催する全日本大会は基本的に9~11月の間に開催されるが、1969年から1979年の11大会中、1大会だけ5月に開催された事がある。 それはどの大会か? 選択肢第2回第6回第9回第11回 Q91969年、当時大人気だったキックボクシング界に、極真会館は「極真ジム」としてNET(テレビ朝日」の「ワールド・キックボクシング」に参戦した。 現在では「極真三羽烏」と呼ばれた山崎照朝、添野義二、及川宏の3名が選手として参戦したと知られているが、実際には何人の選手が極真ジムとして参加した? 選択肢4101517 Q101970年代に2度の全日本大会優勝、初の世界大会王者と最高の成績を修めた佐藤勝昭。 そのデビュー戦は第2回全日本大会だが、当時の佐藤は柔道三段、空手○○? 選択肢2級1級初段二段